絵画感想文 〜臨床心理士がアート作品と対話しながら鑑賞し、作品の意味について考え、感受性を磨く訓練をしてみました〜

知識はなく、解説はできません。思い浮かんだことを、自由に書いていこうと思います。作品との対話による美術鑑賞や、ハウゼンとヤノワインのVisual Thinking Strategy(VTS)をやってみた、という感じです。

062.ジャン=ミシェル・バスキア ≪Untitled≫ 1982年 個人蔵

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Untitled

2017年5月にZOZOTOWNの前澤社長が123億円で落札した本作品。

東京の森アーツセンターギャラリーで

2019年9月21日(土)~11月17日(日)まで開催される

バスキア展”で観ることができる。

 

一目見て、荒々しいタッチから、力強さを非常に感じることができる作品だ。

 

背景の水色からは空を感じ、

「一旗あげるぞ」「大物になってやるぞ」

と男が空に向かって叫んでいる感じがする。

 

上部に○や×が描かれているが白で消されており、

右側も白で覆われている。

このことからは、無に帰させることができた印象を受ける。

下部に建造物らしきものが少し描かれているが、

彼を遮る障害物にはならなそうだ。

 

開放感を抱くことができ、

「オレには何でもできる」

「邪魔するものは何もない」

「オレを止めることができる奴は誰もいない」

とも男は叫んでいる感じがする。

 

ただし、具体物が描かれていないことからは、

彼がまだ何も成してはいない感じも抱かせる。

 

やる気は非常に高いが、まだ何も具体的には成してはいない印象を受ける。

エネルギーを持て余している感じがする。

 

疲れている時こそ本作品に触れ、

本作品からあふれ出ているエネルギーを、是非もらいたい。

061.吉原治良 ≪黒地に赤い円≫ 1965年 兵庫県立美術館

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黒地に赤い円

赤は血かなと思う。

描かれたものが×印だったら、危険というメッセージを

受け取っただろう。

◯なので、血の上に平和が成り立つんだ、

平和ボケするな、といったメッセージを感じる。

 

赤は唇で、中の黒は口の中にも見える。

赤はリンゴで、黒い石をぶつけられているようにも見える。

 

いずれにしても、不気味さを感じる。

赤がもう少し具体的な形をしていたら、

何を意味しているのかが分かり、

不気味さは低減していただろう。

 

何が描かれているのか分からない。

だからこそ不気味さの増す作品だ。

060.髙山辰雄 ≪食べる≫ 1973年 大分県立芸術会館

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食べる

 

炎に包まれる中で、彼は食べているのだろうか。

いや、彼は暑がっておらず、

赤は彼の怒気のように思われる。

 

彼はものすごく怒っている。

そのため、怒りのパワーが外にあふれ出ている。

その怒りを行動に移さないでなんとか押しとどめ、

行動に移す最良の機会を虎視眈々とうかがっている

ように見える。

 

彼は黒く、怒りにとらわれている一方で冷静な部分もありそうで、

私は上記のように考えた。

 

最良の機会が訪れたら、どうなるのだろう。

このままだったら、怒りの対象に怒りをぶちまけてしまうだろう。

 

彼の怒気を冷ます水が必要だが、

テーブルの上に置かれた水は、あまりに少ない。

 

彼の怒りを理解している他者の存在が

彼の怒りを一番効果的に冷ましてくれるだろうが、

残念ながらそのような他者の存在を示唆するものは

全く見当たらない。

 

一触即発。正にそんな絵に思われた。

059.ポール・セザンヌ ≪カード遊びをする人々≫ 1892~96年頃 コートールド美術館、イギリス

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カード遊びをする人々

2019年9月10日(火)~12月15日(日)まで東京都美術館

2020年1月3日(金)~3月15日(日)まで愛知県美術館

2020年3月28日(土)~6月21日(日)まで神戸市立美術館で

開催される“コートールド美術館展”で

見ることができる作品を取り上げる。

 

どちらが優勢か?

左側の人だろう。

 

右側の人は目線が下で、

自分のカードとにらめっこをしている。

一方、左側の人は自分のカードのみならず、

相手の表情も見ていそう。

 

左側の人から余裕さや冷静さが感じられるため、

私は左側の人が優勢と考えた。

 

それにしても、

テーブルクロスの描き方が、実に心憎い。

左側の人の方に垂れ下がっている。

 

特にチップ等は描かれていないが、

チップを大いに暗示していそう。

 

最初は均等だったが、

徐々に右側から左側にいったのだろう。

そんな風に見えてしまう。

 

右側の人に対して、

「ちょっと休憩したら?」

と思わず声をかけたくなる作品だ。

 

 

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058.エドゥアール・マネ ≪オランピア≫ 1863年 オルセー美術館、フランス 

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オランピア

正直、ぎょっとした。

ヌードの白人女性の後ろに、黒人の家政婦が描かれている。

 

白人の気品ある男性が後ろにいたら、

白人の女性は恥ずかしさで

このようなポーズは取れないだろう。

黒人の女性だから、

対等な人と扱っていないからこそ、

そのようなポーズを取っているのだろう。

 

なぜ黒人の家政婦が描かれているのか。

白人女性のヌードだけで良いのではないか?

 

黒人女性がいるのは、白人女性をより際立たせるためだろう。

引き立て役を担わされているのだろう。

そう見ると、黒人女性が持っている花も

作品全体に華を添えているように見える。

 

現在の価値観からすれば、

極めて不適切な絵と言わざるをえない。

しかし、当時の価値観では、

特段不適切ではなかったのだろう。

 

本作品の現在の評価が、とても気になる。

以前はとても評価が高かったが、

現在はその不適切さから

評価が下がってきているのならば、理解できる。

 

しかし、現在でも大傑作として位置付けられているのならば、

はなはだ疑問を感じざるをえない。

 

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057.ジャン・デュビュッフェ ≪騒がしい風景≫ 1973年 ポンピドゥーセンター、フランス

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騒がしい風景

タイトルを見ると“騒がしい風景”とある。

確かに初見では、乱雑さを感じる。

 

しかし、うるさくて迷惑な感じはしない。

楽しくわいわいやっている感じを受ける。

 

なぜかを考えてみる。

1番は、全てが黒枠で囲われているからだろう。

それにより、ある程度の枠内で、

社会的に許容された範囲内で、

はしゃいでいる感じを受ける。

 

赤・青・黒が混ざっていないこと。

枠内は、全て塗られるか・線が引かれるか・全く塗られていないか

の3種類なこと。

画面の中で絵が完結しており、切れている形がないこと。

 

これらの効果により、

一線は超えずにルールを守って

楽しんでいる印象が強められる。

 

大人の遊びの手本を示している絵に

私には感じられた。

056.熊谷守一 ≪あかんぼを≫ 1965年 個人蔵

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あかんぼを


母が赤ちゃんを抱えている。

 

両手で抱えていること、

 温かみを感じることから、

母は優しく抱いていることがうかがえる。

 

赤ちゃんの方も、

手や足が丸まっていることから、

母の腕の中で安らかにくるまっていることが

うかがえる。

 

母の表情も赤ちゃんの表情も描かれていないが、

母・赤ちゃんともに穏やかな表情をしていることが

推測できる。

 

描かれているものが最小限なため

刺激が少なく

その点からも、本作を見ていると落ち着く。

 

眺めれば眺めるほど

ゆったりした心持ちになれる良作だ。